『あばり』さんで目にとまり、購入した本。
この本に書かれている女性 通称グランマ・ゲイトウッドのことを、
つい最近 山関連の記事でチラッと見たのだった。
「アメリカ三大ロング・トレイルのアパラチアン・トレイルを、
1955年、女性で初めてスルーハイクした。その時彼女は67歳」
以前 山歩きをしていて 信越トレイルを3日かけて歩いたこともある、
というご主人ならではの選本。
・・・テントも寝袋も持たずに アパラチアントレイルを歩き通した?!・・・
と驚いたので、印象に残っていた。
1955年9月25日の正午前、エマ・ゲイトウッドは、・・・到着した。
彼女の68歳の誕生日の26日前のことだった。
・・・・・
・・・13の州を通り抜けて3300キロを歩き通したのだ。
エマは断崖の岩の上に7足目のスニーカーを履いて独り立った。
分厚いウールの赤いマッキノーコートを着ていたが、146日前に歩き始めた時の姿は面影もなかった。エマは体重を14キロ弱落としていた。
メガネは壊れ、膝を痛めていた。
・・・・・
「やった。やると言っていたけれど、ついにやった」
・・・一日平均20km以上?を歩いたそうだ。
それも、平坦な道ではない。
心に残ったところや言葉がたくさんあった中から いくつかを記録しておく。
人類学者によると、初期の人類は一日に30km以上歩いていたそうだ。
古代から歩くことには精神的、身体的な恩恵があるとされてきた。
エマ・ゲイトウッドは、
人々からなぜその歳でロング・トレイルに出発しようと思ったのかと尋ねられても、
はっきりとは答えなかった。
・・・・・
どの理由もそれだけで足りるのかもしれない。
だが、総合してみると、
エマの様々な返答はかえって彼女の動機に解釈の余地を与えるものになった。
あたかも人々に、答えが欲しいなら自分でみつけてほしいとでも言うように。
・・・・・
世界を探索することは自分の心の中を探るのによい方法なのだと、
エマは言おうとしていたのかもしれない。
・・・67歳でアパラチアン・トレイルに出発するまでには、壮絶な過去があった。
でも、
その壮絶な過去があったからこそ、
アパラチアン・トレイルにチャレンジしてみたいと思い、
歩き通すことができたのだろうとも思った。
装備は・・・
・手製の布袋(ザック代わり)
・スニーカー
・レインケープ(雨具、グランドシートとして)
・シャワーカーテン(テントとして)
・毛布
・セーター
・クッカー、安全ピン、針と糸、石けんなど
この必要最小限の装備で、
崖を登ったり 濁流の中を歩いたり・・・。
晴れの日だけではない。雨の日や風の日、時には嵐の日もあっただろう。
体調が今一つの日や 足などが痛んだ時だって。
「このトレイルについては3年前に雑誌で読んだのだけど、その記事にはトレイルは美しく、目印もたくさんあるし、道も整備されていて、
一日しっかり歩いたらシェルターがあると書いてあってね・・・
それなら楽しいだろうと思ったわけです。
でもそうじゃなかった。倒木もひどかったし、火事で目印が焼けてもそのままだし、
砂利と砂だらけの決壊箇所、首まで埋まるほどの草や藪、
それにシェルターの大部分は倒れていたり焼け落ちていたり、
あまりに汚くて外で寝る方がましだったこともあります。
トレイルというより悪夢ね。・・・こんなにきついと知っていたらここを旅しようなんて思わなかっただろうけど、
もうやめることはできないし、そのつもりはないです。
食べることや寒さをしのぐことなど、そこにあるもので工夫すること。
不意の出来事に直面した時、冷静に対処すること。
進むか、戻るか、どこを歩くか…など、「今どうするか」を決めること。
・・・などなど、
精神的な部分での強さがあったからこそ。
彼女自身の言葉から、
自然によって自らを評価するという考え、
つまり野生の地が贈り物のように彼女に生きる意味を与えてくれたという考えを、
うかがい知ることができる。
ただ楽しみのためにトレイルを歩く
戸外にいるのが大好きだから
創造主の素晴らしい作品が
林床に飾られているから
エマはこの旅が人生の中で一番貴重だったと語った。
「山頂に行くまで長いことかかりましたけど、
やっと到着して記録長にサインした時ほど人生で独りきりだと感じたことはありませんでした。」
68歳のエマがロング・トレイルを歩き通した後にどう過ごしたか、
そのことを知って さらに驚いた。
なんと、
2年後、再び同じアパラチアン・トレイルをスルー・ハイクしたというのだから。70歳で!
さらにその後、セクションごとに歩いて3回目を歩いたという。
全トレイルを3回歩いた最初の人になったそうだ。
85歳で亡くなるまで、
あちらこちらのロング・トレイルを歩いたり、
新たなトレイルを切り拓いたり・・・。
まさに『道を切り拓いた人』だったんだなぁ。
この本の装丁やカバーも素敵だった。
カバーの絵を描いた『nakaban』さんは、画家で、
イラスト、絵本、アニメーション・・・と多方面で活躍されている方のようだった。