いつもなら 本を開いて2・3ページで眠くなってしまうのだけど、
この本、一気に読んでしまった。
バリ山行の場面は、
その描写にとても惹かれ、
自分の感覚が書かれてると思ったところも あちらこちらに。
木の根を摑んで身体を引き上げる。
妻鹿さんを追いながらも私は、
流れに現れている岩の、その精緻な造形に目を奪われていた。
鑿で切り出したような鋭利な凹凸の中に、緑や白や黄の微細な紋様が織り込まれている。
それもこうして流れの中を辿って行かなければ見ることのできないものなのだ。
触れると水が白く弾けて顔に跳ねた。
岩の上に立ってあたりを見廻した。
流れに沿って峪の奥、妻鹿さんが導く先はあったが、歩みを縛る道というものがない。
足元も頭上も前も後ろも定められた向きというものはなく、全周すべてが山だった。
登って来た方も既に草木に閉ざされ、径はない。
今、私は山の中にいるのだと思った。
深く息を吸いこんでみる。
透明な嵐気が鼻孔を抜けて咽喉の奥に流れ込んでいくのがわかった。・・・・・
あるのはただ山の音だけだった。
なんかねえ、バリをやっているといろんなことを考えちゃうんだよ。
で、それでも確かなもの、間違いないものってさ、
目の前の崖の手掛かりとか足掛かり、もうそれだけ。
それにどう対処するか。
これは本物。
どう自分の身を守るか、どう切り抜けるか。
こんな低山でも、判断ひとつ間違えばホントに死ぬからね。
もう意味とか感じとか、そんなモヤモヤしたものじゃなくてさ、
だからとにかく実体と組み合ってさ、やっぱりやるしかないんだよ」
「山ン中をさ、ひとりで歩くとね」
・・・・・
「・・・・感じるんだよ。崖とか斜面を攀じ登った後ってさ、全身が熱くなって昂ってね。
堕ちたら死ぬような危ないところだと特に。
で、そういう後で、誰にも会わずに淡々と、ずぅっとこんな径を歩くとさ、
聞こえるのは山の音だけで、あとは自分の呼吸と足音。
それが混ざって、なんか気が遠くなって、ボーっとしちゃって。
そしたら感じるんだよ。
もう自分も山も関係なくなって、
境目もなくて、
みんな溶け合うような感覚。
もう自分は何ものでもなくて、
満たされる感じになるんだよ。
私の場合は 妻鹿さんのようなバリ山行ではけれど、
この感覚は 同じだ。
この感覚がたまらなく好きで、何度でも山に行きたくなるのだ・・・。
・・・地図にマーカーで線を引いた表紙
・・・妻鹿さんの青いマスキングテープ
デザインも 本の内容にピッタリ!
と思って 装丁した方の名前を見たら、
装丁家の川名潤さんという方だった。
本の原稿を読み、その内容に沿うように
表紙・カバー・扉・帯などの外側だけでなく、書体・枠の大きさ・・・なども、
本を丸ごとデザインするのだそうだ。
いろんなことにおいて デザインの力って大きいなぁ・・・
ということを改めて感じた。
「周囲の状況に振り回されたり ただ漠然とした不安にかられたりするのでなく、
自分に集中して 自分の内側とつながっていたい」
と 強く思ったり・・・
自分のしたい山歩きについて考えることが増えていたり・・・
という今の私にとって、とても印象深い本だった。
そして、一番思ったことは・・・
「チャンスがあったら、妻鹿さんのバリ山行に同行させていただきたい!」
だな。( ´艸`)