登りでは右奥から来たのだけど、
「せっかくなので・・・」
と、 左手に入って ちょっとの距離 巻き道を行く。
よっこらしょ。
笹藪をかき分けて ちょっと登る。
道・・・。(;^ω^)
でも、
こういう山歩き、実は好きなんだよな。( ´艸`)
多くの人が歩いて掘れた道を下り・・・
水音を聞きながら下り・・・
エゾハルゼミの声を聞き・・・
尾根を流れる沢のそばを歩き・・・
やわらかい赤土を水が削りながら流れる沢を眺め・・・
何度も 倒木をくぐったり跨いだりし・・・
ポットホールを覗き込み・・・
これから花を咲かせる植物たちを眺め・・・
たまに 振り返り・・・
キョロキョロしていて、たまに「おっとっと」と なったり・・・
迫力の木に 思わず立ち止まって眺めたり・・・
しゃがみこんで 草花を眺めたり・・・
前を行く皆さんの姿を確認したり・・・
大きな葉を広げたシダに驚いたり・・・
そんなふうに歩いているうちに、分岐付近まで下ってきた。
「道路わきの崩壊がなければ、ここまで車で入れるんですよ」
なるほど。
右側から下ってきた。
車を停めたところまで さらに歩く。
「独り?だけどヒトリシズカだね」
朝は気づかなかったサイハイラン。
朝も気づいたキイチゴ。
17時過ぎに車を停めていた場所に到着。
この日歩いた旧蕨岡道を歩き、
「午前2時頃に出発して 鳥海山の上まで登り、
日帰りで参拝した人たちもいたそうだ」
と聞いてビックリ。
今より歩くことが多かった昔は、健脚の人が多かったんだろうな~。
初めての旧蕨岡道。
いつも山を歩きながら感じていることをあらためて感じた。
それは、
山を歩くことは瞑想のようだということ。
そして、
山を歩くことそのものが祈りなのではないこと。
昔 この道を歩いて参拝した人たちも 同じような感覚になっていたかもしれない。