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のんびり山などを歩きながら 目に入ったものをパチリパチリ。そんな写真による記録。

◆『山伏と僕』…坂本大三郎:文・絵

 

先日 山の日にちなんで
タレントのお二人が 地元のさまざまな達人に会いながら 本道寺から月山へと登っていく番組が放送された。

2日目に姥沢から月山山頂へとお二人が登った時のガイド・同行者として、
西川市長、ネイチャーセンターの真鍋さん、そして、山伏の坂本さんが紹介された。

・・・山伏の坂本大三郎さん?
   この方が あの本の方か?!

と、本棚から本を取り出してみた。


テレビ画面越しの坂本さん、穏やかな雰囲気の方だなぁと思ったのだけれど・・・
もともと イラストレーターをされてたのかぁ。

 

ペンや水彩の挿絵は、柔らかく優しい感じ。
そして、それより多かった版画による絵は、味わいのある線と白と黒の使い方が素敵で、
坂本さんの絵と版画を観ているだけでも楽しい本。( ´艸`)

 

今の自分の目にとまった文章を書いておこう。

 

土着の文化をベースにさまざまな信仰が融合していく、山伏のような文化は、
この列島の大きな特徴です。
たくさんの人が海を渡りれっろうへ移り住んできましたが、
その過程で伝わった仏教や神道などの信仰は、
もともとあった原始的なアニミズム(自然崇拝信仰)と融合していきました。
いわゆる神仏習合です。
融合することで、列島の原始信仰は形を変えながらも保存されました。
山伏はその最たる信仰でしょう。

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僕が拠点にする羽黒、そして東北の特徴は、
そうした信仰文化の痕跡をよく残したことにあります。
この列島の先住民であるという縄文の人々の記憶に思いをはせることもできます。
そんな土地で育まれた山伏を実践することで、僕は「原初の日本文化」に触れたいといつしか考えるようになりました。

 

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・・・密教的な思想はもちろん大切なものですが、僕の関心はそこにはありません。
僕は、この列島に暮らしていた人々と、信仰の対象であった「自然」が、どのように関わり、
生活の中でどのような風俗や習慣、文化をつくりあげていったのかを知りたいと思ったのです。

 

 

晴れていたのに、突然霧に包まれることが、たびたびありました。
目の前が見えなくなり、とても幻想的です。恐ろしい風景のようでもあります。
死者として修行する僕たちは、月山の山頂でなく、
気が付かないうちに見知らぬ死の世界、他界に連れていかれてしまうようでした。
次第に道には岩や砂利が多くなって、土が少なくなってきます。
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何より、「におい」が違いました。
街にあふれる生活のにおいや、羽黒の森の無数の植物や動物のにおいに比べると、
月山はとてもシンプルでした。
未知なる自然のシンプルさに、僕は少し不安な気持ちをかきたてられました。
さっき感じた、自分がどんどん他界に向かっているような気持ちが濃くなっていきます。
その感覚は、すぐに裏付けられることになりました。

 

 

湯殿山への道はとても険しく、・・・
そういったところを先祖が歩いた道と考えて、
同じ道を進み、先祖との一体感を思うのだそうです。
・・・
長い年月の中で、どれだけの人が、この道を踏んできたのでしょうか。
自分が歩く一歩一歩も、もしかしたら、
どこかの誰かから受け継ぎ、受け継がれていく歩みなのかもしれません。

 

手向から少し離れた森の中を歩いていました。
昨晩と同じように「死」の世界を感じます。
しかし、月山で感じた「死」とは種類が違うようです。
月山はそても透き通ってクリアな世界でした。
月山は、においもシンプルでしたが、羽黒の森の中は、どこか獣じみた、粘り気のあるにおいです。
歩くたびに少し重みがあるような空気が身体にまとわり付いてくるような感じがします。
それは不愉快であっったり、恐ろしかったりはしません。ずっと身近にあったはずのもののようです。
眠りにつくときに、目を瞑るとあらわれるような暗闇でした。
月山や羽黒の闇の違いを感じて、
死者の霊が低山にとどまり、やがて高い山に登って神になると考えた古い人々の感覚が、
現代人の自分の中にも、同じように流れているように思えました。

 

 

松例祭に伝わる古い人々の記憶、脈々と続いてきた文化に触れ、
自分が昔話の中に入り込んでしまったようでした。
それでも、僕の中で山伏の姿がはっきりと形作られたわけではりませんでした。
でも、そのわけのわからない世界に触れるとき、僕の心は躍動していました。
単純に言えば楽しかったのです。
僕は自分の直感を信じてみたくなっていました。

 

岡本(太郎)の言うように、文化の原初の姿と現在とを対比させることによって、
自分たちとはどのような存在であったのか、
人間の身体や精神のあるべき姿、本性とはどのようなものなのかを
みつけることはできないでしょうか。
人間の本性には、
文化の根底、未分化だった頃の信仰と芸術が大きく関わっているのではないでしょうか?
ありのままの世界と向かい合い、生と死の混在する領域に分け入ることで、
自らのうちに「豊かさ」をとり込み、人間の本性を躍動させること。
それが信仰であり、芸術であり、芸能なのではないでしょうか?
そして、それを実践したのが原初の山伏なのでしょう。
僕は山伏の世界に飛び込んでみることで、
知識だけでなく身体を通して、それを理解、実感したいと考えています。

 

 

山伏、古代、精霊というと、難しい話のように感じるかもしれません。
ただ、言い替えれば、僕が大切にしたいと思うのは、
ごはんがおいしいと感動したり、自然の美しさに見とれたりするような、
素朴で身近な感覚です。
その根底には、常に、生と死が混在する世界が広がっています。

 

 

仏教や神道に影響されて、清浄な人間でなければならないと考えている山伏もいますが、
山伏は仏教や神道がこの列島に影響をあたえる、遙か以前にさかのぼる文化なのです。
かつての山伏は仏教理論などの教義とは無縁で、そういった考え方に縛られることなく、
そのままの自分を生きた人たちでした。
だからこそ僕は山伏に惹かれました。
深い山の中へ入って、自分の身体を通して、かつての人たちと同じように自然と向き合ってみること。
毎日の生活の中で、そのままの自分を生きること。
それが僕にとっての山伏です。
そこにこそ日本文化の原点、人間の普遍性が存在するのだと、僕は考えているのです。

 

山の世界に入ってから六年が経ちました。
当たり前のことですが、
そこがどれだけ広く、どれだけ深いのか、いまだに見当がつきません。
・・・・・・・
これから先、死ぬまでかけても、そのすべてを知ることはできないでしょう。
でも、
自分の残された人生を、この列島の自然と向き合うことに費やしていくことも、悪くないかなと僕は思っています。

 

坂本さんが西川町に開いたというカフェ『十三時』に、
いつか行ってみよう。