山に登っている時、
私は心の中で岩や雪や風としきりに対話しますが、
その文脈は支離滅裂です。
風や木々と語る獣や鳥たちは
きっと明晰な美しいことばを持っているに違いありません。
粕谷さんが『山歩きの雑記帳』に寄稿されたエッセイと写真に詩を加えてまとめられた本。
タイトルの『雲のソナチネ』は、
73歳でパリに語学留学(!)されていた時に
セーヌ河畔の露店古書店で見つけて購入した『山の名詩選』という本の巻頭の詩からとったものだそう。
あの頃 山にばかり登っている父親を娘たちはどう思っていたのだろう。
という粕谷さんは、
高校に勤務し山岳部顧問をしながら たくさんの山(海外の山にも)登っていらしたようだ。
私も登ったことのある山についてのエッセイもある。
白鷹山、虚空蔵岳、葉山、鶴間池、大朝日岳、面白山、湯ノ沢岳、月山、鳳来山・・・。
そして、まだ登ったことのない山。
フランスの山についても。
粕谷さんの山歩きには、
一つ一つ「物語」があるのだと感じた。
対話していたのは 岩や雪や風だけではなかった。
山そのものとも、
いっしょに歩いた人たちとも
たくさんたくさん語り合っていた。
どのエッセイも、
こんなふうに山のことを語れるって素敵だなぁ・・・と思うものばかり。
私はいつも
生徒たちが山で発揮する創意工夫と特技を評価していた。
( 『草鞋(わらじ) 朝日連峰・古寺川』 )
思わずクスリと笑ってしまった。
今日はこの山に登って
山と友だちになろう。
ぼくたちのより下で雲が生まれる。
水に映った青空は
本当の空よりずっと青いのはどうしてだろう。
実は日本人も昔から山を大切にしてきた。
だから、むやみに山の木をきったり ごみを捨てたりしてはいけないと考えてきた。
山の神さまを怒らせてはいけないからね。
星の王子さまの考えと似ていると思わないか。
君たちにとって今日登った葉山は
名前も知らない他の山とは違う特別な山になったはずだ。
( 『葉山 小さな登山者に 』 )
小学生と初めて葉山に登った時のことを
子どもたちに話しかけるような文で書かれていたこのエッセイに
惹きつけられた。
そして、
昨年の秋に 自分が初めてこの山に登った時のことを思い出した。
何といっても興味深かったのは、
大朝日岳の登山口になっていて
今は廃業してしまった古寺鉱泉『朝陽館』についてのエッセイ。
古くからの友人であるという朝陽館のご主人佐藤隆吉さんと
鉱泉旅館をともに守ってきたという奥様の山での暮らし。
積雪期に 深雪のラッセルに苦労しながら古寺鉱泉を訪れた時の話。
毎晩雪道を8kmも歩いて大井沢まで行っているらしいという宿の猫の話。
などなど。
山歩きを初めて6年。
その時その時、休みと天気が合う山を探して ただただ歩いてきたけれど、
私は これから どんな山歩きをしたいんだろう・・・
と、この本を読みながら思った。
表紙やタイトル・サブタイトルの色、中の用紙や帯の紙質も
粕谷さんの「風景の中のパンセ」にピッタリだった。