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のんびり山などを歩きながら 目に入ったものをパチリパチリ。そんな写真による記録。

◆『ブナの森通信~朝日連峰 山小屋からの報告』…西澤信雄:著



以前 先輩から紹介していただいた本。
少し読んで そのままになっていたけれど、
今度初めて朝日鉱泉の方から山を歩くことになって、また開いてみた。


著者の西澤さんは、
朝日鉱泉で 昭和50年から『朝日鉱泉ナチュラリストの家』と名付けた山小屋を始め、経営されてきたという方。

この本は、
平成12年2月から平成21年2月まで朝日新聞山形版に連載された『ブナの森通信』という記事をまとめたものだそう。


1つの記事が見開き2ページになっていて、それぞれにタイトルがつけられている。
その季節の様子から始まる文章は、優しく温かなまなざしで見つめ感じたことが やわらかな文章で書かれていて読みやすく、スッと心に入ってくる。
そして最後の部分には、シンと静かな気持ちになったり 思わず大笑いしてしまったり。
どの記事も、読んだ後に  あたたかな気持ちになった。

 

一つ一つの記事に ホンワカしたりジ~ンとしたり。
その中から、心にとまった文章をいくつか。

・・・・・今年ほどの大雪になると、風景は積もった雪で丸くなります。
木も、枝も、岩も何もかも、すっぽり雪が包むからです。
林道のあちこちには、大きな新雪雪崩や、表層雪崩があります。
その雪の小山を登ったり下ったりして、緊張しながらも、大胆に少しずつ進んでいきます。
          ・・・「倒れたミズナラ~多くの思い出に感謝」より・・・

 

 

・・・・・
そのヤマメに、春のかすかな太陽があたりました。
するとヤマメは踊るように銀色に光り、その体の中央に、ブルーの斑点が見えました。
それはなんとも鮮やかなブルーの色でした。
私は、雪の白と岩の黒だけの風景の中、そのブルーの色を見た瞬間、
久しぶりに色があふれる季節を思い浮かべました。
          ・・・「ヤマメの体に春の光~色あふれる季節間近」・・・

 

 

 

 

気持ちよさそうに巨木に寄りかかってオニギリを食べる人を見ながら、
地面に寝転がって巨木を見上げました。
巨木を囲むように咲いていた、ピンクのドウダンツツジの向こうに、真っ白い御影森山が見えました。
いつまでも、こんな時間が続けばいいと思いました。
          ・・・「巨木の森~もう一歩自然に接近」より・・・

 

 

 

「春はどこからくるのか」
この答えだけは、はっきり言うことができます。
「春はブナの木の根元から来るのです」
少しずつ長くなった春の太陽が、ブナの根元の雪の穴を徐々に解かし、
黒々とした地面の面積が増えて、隣の穴とつながるころに春は盛りになるのです。
          ・・・「春の足音~根元拡げる雪解け穴」・・・



 

 

さて先日、久しぶりの晴天に誘われ、大朝日岳の美しく見える所に行って来ました。
最上川に架かる朝日町の『八天橋』です。
ここからは、最上川の流れに沿って暖日山が見え、その奥に雪をかぶった大朝日岳、小朝日岳が美しく見えるのです。
この流れを見ていると、山が川をつくるのだとつくづく思います。
同じことを考えた人が、昔にもいました。
昭和の初め最上川の支流に発電所をつくろうとした、当時の山形電気(現在の東北電力)の塚田正一社長です。
「あの万年雪こそは、流れて河川の源になり、やがて灌漑の水をあたえ発電の原動力になるのだ。
この源泉を涵養して四季不断の水の供給をくれるものは即ち山岳を抱擁する草木でなければならない」
          ・・・「最上川~泳げる川を取り戻そう」より・・・

 

 

自然の中には、ふだんは見えないのに、ある季節になると急に、
私もここにいる、私もここに生きている、忘れないで欲しいと小声で訴える生き物がいるのです。
          ・・・「卵塊~『元気だよ』のメッセージ」より・・・

 

 

先日、六十代の婦人から
「山菜は、畑で腰をかがめて採るものではない。山の中で、休み休み、周りの景色を見ながら採るものだ」
と聞きました。
「そうすると、山菜を食べる時、その景色が浮かんでくる。
 景色も一緒に食べるのが山菜だよ」
なるほど、そんな楽しい食べ方があったのかと感心しました。
多くの人が山菜採りをやめられないのは、そんな楽しみがあるからかもしれません。
          ・・・「『山の山菜』採り~食べる時は景色も一緒」より・・・

 

 

ブナ林の近くにすむ方が、ブナ林の落ち葉を利用して生活している。
山とはそういう存在であったのだ。
いろいろ山を利用してきたからこそ、山里にすむ意味があったのだ、と思うのです。
          ・・・「落ち葉を堆肥に~山里にすむ意味を見た」より・・・