一念峯登山口から戸塚山の方へ移動。
車を瑞雲院駐車場に停め(昨年も停めさせていただいたとのこと)、
まずは 駐車場そばには『戸塚山館跡』の説明の看板が。
戸塚山には 古墳だけでなく山城跡もあるようだ。
スタート前に、米沢市在住のKさんから 戸塚山の古墳についてのお話をお聞きし・・・
11:05 駐車場をスタート。
道の両側にアジサイが。
花が咲く時期には見事なんだろうな・・・。
道を左手に曲がったところにシャガの花。
墓地に続く道を通り・・・
次第に・・・
「山道」になっていく。
登るにつれ、新緑の道に。
こんにちは!
小さく登ったり下ったりを繰り返しながら 登って行く。
イワナシの葉があるぞ? と思ってよく見たら、
花の時期をとっくに過ぎ、実がなっていた。
ウラジロヨウラクのツボミが。
手入れされ 伐って重ね置かれた木には 苔が生え、
そこに カエデなどが出ていた。
この後 北側をぐるっと回り込んで
向こうの尾根を右から左へと歩く。
この辺りにもヤマツツジ。
分岐。右側から登ってきた。
奥からの道は ふもとの幼稚園に続いているとKさんが教えて下さった。
あれは山形新幹線つばさ、だろうか。
庄内に住む私は利用したことがないけれど、乗る機会がいつかあるかなぁ。
『やんちゃりか』?
子どもの頃、そんな歌を子ども番組の中で聴いたことがあった気がする。
会えると思っていなかったシュンランにあえて嬉しい。
山頂に近づくと 松の木が多くなった。
『まつたけ坂』。
マツタケが採れるのかも。
まつたけ坂から少し登ると・・・
山頂が見えた。
山頂に着きそうで着かない・・・。(;^ω^)
11:55 戸塚山山頂に到着。
この山頂の古墳は 5世紀後半に造られたそうだ。
そのすぐ下にも 山頂の古墳の後に造られた古墳が。
うまく撮れなかったけれど、さらに下にもう一つの古墳。
この古墳から 人骨が発見されたのだそうだ。
石蓋に使われた一枚岩は 重さ1tの砂岩だったそう。
どこから どのようにして運ばれたんだろう・・・。
陽ざしを遮るもののない戸塚山山頂は ジリジリ暑かったけれど、
景色を眺めながら 昼食タイム。
昼食後に 古墳の周りを歩いてみたりした。
『うきたむ風土記の丘考古資料館』の資料によると・・・
紀元3世紀後半から7世紀にかけて
九州南部から東北南部にかけて 35万基といわれる多数の古墳が造られたようだという。
山形県は「日本における古墳時代の古墳の北限の地」であり、
当時の「大和連合政権の勢力が及んだ北限の地」ということなのだそうだ。
県内で古墳が多いのは 置賜地方から最上川に沿った村山地方辺りだろうか。
この戸塚山山頂の古墳は5世紀後半~6世紀初めに造られたもの、
山麓に約200基あるという古墳は 7~8世紀のものと推定されるそうだ。
山麓の古墳は 山頂のものとは違う横穴式古墳が多く、
横穴式古墳は 置賜の山沿いにのみ分布しているそうで、
「渡来系の移民と関連する古墳だろう」と書かれていた。
当時の人々が どのように家族と会話し、仲間と意思疎通をはかり、
離れた地域の人たちと交流していたんだろう・・・
などと、
私の頭の中では いろいろなことがグルグルしていた。
12:50 下山開始。
同じ道でも
ちがうものが目に入ったりするので・・・
やっぱり キョロキョロしながら歩き、
あちらこちらで立ち止まって眺めたりしながら下った。
途中からは、
Kさんの案内で、浅川沼の方へ近道で下っていく。
登りの尾根道とは違い、
マイヅルソウが群生していたり・・・
オウレンがあったり・・・
水がジワジワ流れているところがあったり・・・
ハッキリした道を歩くようになると 間もなく・・・
木々の間から浅川沼が見えるようになった。
登りは、この斜面の上の方を歩いたんだね。
浅川沼。
車を停めた駐車場まで歩く。
その途中、右手に一念峯が見えた。
少し前に あのボコンという『紙飛ばし岩』の上にみなさんで登っていたのかと思うと
不思議な感じがした。
13時半頃、瑞雲院駐車場に戻ってきた。
駐車場で後始末・ほぐしの運動をし、車に乗って移動。
13:40頃 『賜の湯』に到着。
お風呂で汗を流した。
男湯の露天風呂からは飯豊連峰が見えるんだとKさんが言っていたけれど、
女湯の露天風呂からは 植栽で遮られて残念ながら見えなかった。
寒河江チェリーランド河川敷公園までエコプロ車に乗せていただき、帰宅。
ガイドのSさん、ご一緒させていただいた皆さん、
ありがとうございました!
行きたいと思っていた山を歩くことができて、
今回も楽しい山歩きだった。